東京地方裁判所 昭和35年(ワ)4316号 判決 1963年6月24日
原告 唐木冨士子 外二名
被告 三陽建材株式会社 外一名
主文
被告らは各自、原告唐木富士子に対し金五〇万円、同唐木徹および同唐木麻利に対しそれぞれ金四〇万円、ならびに右各金員に対する昭和三五年六月一〇日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、原告らにおいて各自被告らに対しそれぞれ金一五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
一、申立
(一) 原告ら「被告らは各自、原告唐木冨士子に対し金一七六万円、同唐木徹および唐木麻利に対しそれぞれ金一五六万円ならびに右各金員に対する昭和三五年六月一〇日から支払ずみまで年五分の金員を支払うべし。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決と、仮執行の宣言。
(二) 被告ら「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。
二、事実上の陳述
(一) 原告らの請求原因および抗弁に対する答弁
1 被告三陽建材株式会社(以下被告会社という)は、貨物自動車を使用して土砂の運搬を業とするもの、被告相川は、被告会社に雇われ、自動車運転者として被告会社の業務に従事しているものである。
2 被告相川は、昭和三五年二月二四日午前八時過ぎごろ被告会社のためその業務として被告会社所有の自家用普通貨物自動車トヨタ五九年型ダンプカー1(は)第三九〇五号(以下本件ダンプカーという)を運転して東京都北多摩郡保谷町下保谷一六一六番地の一附近において北方は西武線ひばりヶ丘駅方面、南方は谷戸新道方面に通じほぼ南北に走る幅員約七、三メートルの道路と西方所沢街道方面から来る道路と丁字形にまじわる丁字路(以下第一丁字路という)を、所沢方面から出てひばりヶ丘駅方面に向けて左折し、その北方にある右道路と東方ひばりヶ丘住宅公団内グランドに通ずる幅員約六メートルの道路とが接する丁字路(以下第二丁字路という)をグランド方面に右折進行するにあたり、右第一丁字路から第二丁字路に向けてひばりヶ丘駅方面に通ずる道路をそのまま減速もせず方向指示器も出さずに斜横断して進行し、第二丁字路を右折しようとした際、丁度反対方向のひばりヶ丘駅方面から谷戸新道方面に向け訴外唐木嶺がホンダドリーム号五六年型軽自動二輪車(ゆ)第〇一四一号(以下本件オートバイという)を運転して第二丁字路附近にさしかかつたのを認めたがそのまま右折を継続したため、嶺が本件ダンプカーとの衝突を避けようとしてブレーキをかけて急停車の措置をとつた反動で右折中のダンプカーの左側前車輪と後車輪の間に投げ出されたところを、ダンプカーの後車輪でその頭部を轢き、その場で頭蓋骨粉砕開放性脳損傷の傷害により即死させた。
右事故は、被告相川の過失によりひき起こされたものである。すなわち、自動車を運転して或る道路からこれに接続する第二の道路に出て左折し、さらに直ちに第三の道路に右折する場合には、自動車運転者は第二の道路に出てから第三の道路の入口に直交する地点まで進んで交差点の中心に直近する外側を徐行して廻らなければならず、かつ、一時停車するか徐行して第二の道路を直進する自動車に進路を譲る等の措置を採ることにより、附近の交通の安全を保持する義務があるところ、被告相川は嶺が反対方向から直進してくるのを認めながら右措置を採ることなく、前記のように減速もせず、方向指示器も出さずに第一丁字路から第二丁字路に向けて道路を斜めに横断して嶺の進路を遮断したため、嶺の急停車による本件ダンプカーの下への転倒を招き、本件事故を生ぜしめたものである。
3 被告会社は本件ダンプカーの保有者で本件事故当日自己のためこれを運行の用に供しその運行によつて本件事故をひき起したものであるから自動車損害賠償保障法第三条により、また被告相川は自己の過失により本件事故をひき起したものであるから民法第七〇九条により、いずれも原告らに対しそれぞれ後記4記載の損害を賠償する責任がある。
4 原告唐木冨士子は嶺の妻、同唐木徹および同唐木麻利は嶺の子であるところ、本件事故により嶺および原告らは次のような損害をこうむつた。
イ、財産上の損害、嶺は、本件事故当時満二九才(昭和六年一月二日生)の健康な男子であり、昭和二六年三月一三日東京第二師範本科を卒業するとともに中等学校教諭二級免許と小学校教諭普通免許とを受け、同年四月一日から東京都豊島区立長崎小学校に、同三一年四月一日から死亡当時までは練馬区立大泉東小学校に勤務し、死亡当時給与として一ヶ月金二万四一四〇円と夏季及び年末手当として一ヶ年につき与三ヶ月分に相当する収入を得、一ヶ年合計金三六万二一〇〇円の収入を得ていたものである。そして、嶺はなお三七、八八年間生存し(昭和三一年度の厚生省大臣官房統計調査部作成第九回平均余命表)少くとも東京都内の教職員が慣例により退職勧しようを受ける満六〇才まで少くともなお三〇年間教員として勤務できたはずのところ、嶺の生活費は一ヶ年金一二万二一〇〇円であるから、同人の一ヶ年の純収入は金二四万円であり、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除すると、嶺の今後三〇年間に得べかりし純収入の現在価格は金四三二万七〇三五円となり、同人は本件事故による死亡のためこれと同額の損害をこうむつた。
次に、嶺は満六〇才で退職勧しようを受けて退職したとすれば、その勤続年数は四〇ヶ年以上となり、一ヶ月金五万四六〇〇円の給与を受け得ることとなるからその退職に際して右金五万四六〇〇円の六四・五ヶ月分と勤続三〇ヶ年以上の一割加算(職員の退職手当等に関する東京都条例第六五号)合計金三八七万三八七〇円の退職金を受領しうるところ、右退職金の現在価格は前記ホフマン式計算法によると金一五四万九、五四八円となる。しかし、嶺はその死亡に伴い東京都教育委員会から死亡給与金一六万二〇八〇円、退職手当金一七万六二六二円、死亡一時金八万一〇四〇円合計金四一万九三八二円の支給を受けたので、これを控除すると、嶺は得べかりし退職金のうち金一一三万〇一六六円を得ることができず、これと同額の損害をこうむつた。
したがつて、嶺は本件事故により合計金五四五万七一九一円の損害をこうむつたこととなり、原告らは嶺の相続人としてそれぞれの相続分に応じ右金額の三分の一である金一八一万九〇六四円ずつ右損害賠償請求権を承継取得した。
ロ、精神上の損害、原告唐木冨士子は、昭和三三年五月二日に嶺と結婚し、結婚後二年も経たない内に本件事故により夫を失い、今後は女手一つで遺児である原告唐木徹、同唐木麻利を養育しなければならない状況におち入つたもので、本件事故による精神的苦痛はきわめて大きい。又、原告唐木徹、唐木麻利は現在は幼少であるが、将来成長したときに本件事故により受ける精神的苦痛は相当大きいものと考えられる。したがつて、右のような精神的苦痛に対し原告唐木冨士子は金五〇万円、同唐木徹、同唐木麻利は各金三〇万円の慰藉料請求権を有する。
5 そこで、原告唐木冨士子は右財産上の損害のうち金一三六万円と精神上の損害五〇万円、同唐木徹、同唐木麻利はそれぞれ財産上の損害のうち金一三六万円と精神上の損害三〇万円を請求するところ、原告らは自動車損害賠償保障法による責任保険金三〇万円を日産火災海上保険会社から取得して嶺の損害賠償請求権のうちに当て得る見込みであるのでこれを控除し、被告らは各自原告唐木冨士子に対し合計金一七六万円、原告唐木徹、同唐木麻利に対しそれぞれ合計金一五六万円および右各金員に対し被告らに対する本件訴状送達の翌日である昭和三五年六月一日から支払ずみまで年五分の遅延損害金の支払いを求める。
6 被告ら主張の抗弁事実は否認する。
(二) 被告らの答弁および抗弁
1 請求原因事実のうち、被告会社が貨物自動車を使用して土砂の運搬を業とする会社で、被告相川は被告会社に自動車運転者として勤務し、本件事故当日被告会社の業務として本件ダンプカーの運転に従事していたものであり、被告会社は自己のためこれを運行の用に供していたものであること、昭和三五年二月二四日午前八時ごろ被告相川は被告会社のためその業務として被告会社所有の本件ダンプカーを運転して第一丁字路を所沢方面から出てひばりヶ丘駅方面に左折し第二丁字路にいたり、第二丁字路の交差点の中心外側を廻ることなく内側を廻つて右折したこと、ダンプカーが右折している際に嶺がひばりヶ丘方面から進行してきてダンプカーの左側前車輪と後車輪の間に投げ出されてダンプカーの後車輪でその頭部を轢かれ頭蓋骨粉砕開放性脳損傷の傷害により即死したことは認めるが、その余の事実は争う。
2 本件事故は、嶺の過失のみに起因するもので被告相川には過失はなく、かつ、被告会社は本件ダンプカーの整備に万全を期していたもので、右ダンプカーには構造上の欠陥又は機能上の障害はなかつたものであるから、被告らには本件事故について責任はない。
イ、被告相川は、第一丁字路での左折に際し、まず一時停止して安全を確認したのち左折し、速度を時速五キロメートルに減速して右折の方向指示器を出したのち第二丁字路を右折しようとして前方を注視すると、約五〇メートル前方に反対方向に進行する嶺の運転する本件オートバイを認めたが、時間的距離的関係からダンプカーが右折を継続しても危険はないと判断して第二丁路の交差点の内側ではあつたがその中心に近いところを直角に右折したものである。すなわち、第一丁字路と第二丁字路の間隔はわずか二五、六メートルしかなく、ともに幅員約七、三メートルの道路と約六メートルの道路が接している丁字路であるから、車幅二、五メートル、車長六、四メートルの本件ダンプカーが第一丁字路で左折して、直ちに第二丁字路で右折するには、第二丁字路の交差点外側を廻ることは地理的に不可能であるため、やむなく第二丁字路交差点内側を廻つたものであるが、その右折に際しては前述のように前方を注視し、方向指示器による合図、徐行等附近の交通に危険を生ずることのないよう必要な安全確認の措置を十分採つたものであり、被告相川には何等の過失もない。
ロ、嶺は、ひばりヶ丘駅方面から谷戸新道方面に向け本件オートバイにのつて時速約七〇キロメートルの速度で南進し、かつ、前方注視を怠つたためすでに右折を開始している本件ダンプカーを、その手前約一〇メートルの地点で発見してダンプカーの後方を迂回しようとしたが、ダンプカーの後続車があわられて迂回できなかつたので、あわてて急停車の措置をとつたところ、ダンプカーから約三メートル手前の地点で停車したが、猛速度のため反動で身体を投げ出され、前方三メートル手前の地点を右折しているダンプカーの前車輪と後車輪の間に自ら転倒したものである。すなわち、嶺には制限速度を守り、進行方向前方を注視し、危険な状態が生ずればいつでも急停車徐行等の措置を採り、前方交差点ですでに右折している自動車があればこれに進路を譲つて徐行するか一時停止する義務があるところ、嶺は制限時速三二キロメートルの道路を前記のように七〇キロメートルもの速度で進行し、かつ前方注視義務を怠つたため本来ならば約五〇メートル手前で発見し得たはずの本件ダンプカーを約一〇メートル手前で発見したに過ぎず、そのためあわてて急停車し猛速度の反動で前方に投げ出され本件事故を起したもので、本件事故は嶺の速度違反、前方注視義務違反のみに基くものである。
ハ、被告会社は常時運転者の勤務状態に万全の注意をするとともに、常に所有ダンプカーの検査、整備を行つていたもので、本件ダンプカーにも構造上機能上の障害はなかつたものである。
3 仮に被告相川に過失があつたとしても、前記2ロ記載のように嶺には本件事故の発生につき過失があるから、被告らの損害額を定めるについてこれをしん酌すべきである。
三、立証(省略)
理由
一、被告会社が貨物自動車を使用して土砂の運搬を業とする会社であり、被告相川が被告会社に自動車運転者として勤務し被告会社の業務に従事していたこと、昭和三五年二月二四日午前八時すぎごろ、被告相川が被告会社のためその業務として被告会社所有の自家用普通貨物自動車トヨタ五九年型ダンプカー1(は)三九〇五号(本件ダンプカー)を運転して第一丁字路を所沢方面から出てひばりヶ丘駅方面に左折してさらに第二丁字路を住宅公団内グランド方面に右折したが、右折している際に、嶺がひばりヶ丘駅方面から第二丁字路方面に進行し右ダンプカーの前車輪と後車輪との間に投げ出されてダンプカーの後車輪でその頭部を轢かれ、その場で頭蓋骨粉砕開放性脳損傷の傷害により即死したことは、当事者間に争いがない。
二、そこで、本件事故が原告ら主張のように被告相川の過失によつて起きたものであるかどうかについて判断する。
1 成立に争いのない乙第二、第三号証、事故当日の現場を撮影した写真であることが争いのない甲第七号証の一ないし一〇、証人今栄直忠、同佐塚瑞穂、同渡辺義一の各証言および被告相川本人尋問の結果ならびに検証の結果をあわせると、現場は住宅公団ひばり丘団地内で本件第一丁字路は北方はひばり丘駅方面に、南方は谷戸新道方面に通じ右団地の東側にそつてゆるく湾曲しながらほぼ南北に走る舗装された幅員約七、三メートルの平坦な道路と団地内を貫いて西方所沢街道方面に通ずる舗装された幅員約七、二メートルの平坦な道路とが丁字形に接したもので、本件第二丁字路は右第一丁字路の北方ひばり丘駅方面寄り約二五メートルのところで前記幅員約七、三メートルの道路に東方住宅公団内グランドに通ずる舗装された幅員約五・八メートルの平坦な道路が丁字型に接したものであつて、右現場附近の見とおしの状態は、第一丁字路からはひばり丘駅方面約一四〇メートル先まで見とおせるが、第一丁字路から第二丁字路に近ずくに従つて右道路が東にゆるく曲つているためその見とおしは悪くなり第二丁字路交差点中央附近におけるひばり丘駅方面への見とおしは約五〇メートルに限られること、昭和三五年二月二四日午前八時過ぎごろは晴天で、被告相川は車長六、四メートル車幅二、三四メートルの本件ダンプカーに赤土を積んで第一丁字路を所沢街道方面から出てひばり丘駅方面に左折し、さらに第二丁字路を住宅公団内グランド方面に右折する目的で一時停車することなく第一丁字路の北寄りから第二丁字路の南寄りに向け幅員約七、三メートルの道路を斜めに横断して直進し第二丁字路の交差点内側(谷戸新道寄り)にいたり、そのまま交差点内側を右折しようとしたとき、ひばりヶ丘駅方面から第二丁字路方向に向けて本件オートバイを運転する嶺を約五〇メートル前方にみかけたが、右嶺は自己の運転するダンプカーの後尾を迂回するものと軽信し、そのまま右折を継続して嶺の進路をふさぎ、後記のように嶺の運転をあやまらせて嶺がダンプカーの左前車輪と後車輪との間に横転したところを後車輪でその頭部を轢き、あわてて急停車したが、急停車によりダンプカー左前車輪が約六メートルのスリツプ痕を残したこと、嶺は本件オートバイを運転してひばりヶ丘駅方面から第二字路方面に南進して第二丁字路にさしかかつたところ、第一丁字路から出て来た本件ダンプカーがそのまま道路を斜横断して右折を開始したため、これとの衝突を避けようとしていそいでダンプカーの前方約六、四メートルの地点で急停車の措置を採つたが、その反動で本件オートバイは約二メートルのスリツプ痕を残して約四メートル前方に横転し、嶺の身体はさらに前方右折しようとしているダンプカーの左側前車輪と後車輪の間に投げ出されて結局ダンプカーの左側後車輪で頭部を轢かれたこと、本件ダンプカーが第一丁字路を左折してさらに第二丁字路を右折するには第二丁字路の交差点中心の外側をまわつて右折することは、ダンプカーの大きさと第二丁字路の広さおよび進入する道路の幅員(五、八メートル)から困難であるけれども、徐行して右折すればダンプカーの車体中央附近が右交差点の中心を通過する状態で右折できることを認めることができ、さらに、右認定事実から、被告相川は第一丁字路を左折して第二丁字路右折中途で急停車するまで時速約一〇キロメートルから二〇キロメートルの速度で徐行することなく進行したこと、一方嶺は少くとも四〇キロメートルの速度で進行し、これも徐行することなく急停車したことを推認することができる。右認定に反する証人茂垣左門の証言および被告相川本人尋問の結果の一部分はにわかに措信できず、他に右認定をくつがえすに足りる措信すべき証拠はない。
2 しかして、本件現場のように第一丁字路と第二丁字路が接近している場所で、本件ダンプカーを運転して叙上認定のように第一丁字路を左折し、直ちに第二丁字路を右折する場合には、あたかも道路を横断すると同じ危険を通行中の他の車馬に与えることとなるのであるから、自動車運転者たるものは第一丁字路の左折についても一旦停止するか徐行して他の車馬の通行に対する危険の有無を確かめたのちに左折する義務があることはもちろん、左折後はいちおう道路左側について第二丁字路にいたるまで進行し、第二丁字路において右折するに際しては、とくに車長と道路幅員との関係では右折によりほとんど道路を通行する他の車馬の交通を遮断する結果となるから、道路前方および後方の車馬の通行を確かめたのち時宜によつてはいつでも停止しうるよう減速徐行して第二丁字路の交差点外側を可能な限り廻つて、右折による他の車馬との接触を未然に防止すべき義務があるものというべきところ、被告相川は事ここに出ず、叙上認定のように第一丁字路を左折するや、約一〇キロメートルから二〇キロメートルの速度で直ちに第二丁字路に向け斜めに道路を横断し、第二丁字路における右折に際しても、嶺の接近を認めながら、なんらのその動向に注意を払わず漫然進行を継続したもので、その結査、嶺をして第一丁字路からあらわれ出た本件ダンプカーは当然一旦道路左側について直進するものと期待させながら、右期待を裏切りその進路を遮断し、同人をして急停車するのやむなきにいたらしめ、右急停車による反動のためダンプカーに轢かれる事態をひき起こしたものであるから、嶺の側にも過失があるかどうかはしばらく別として、本件事故が被告相川の過失により生じたものであることは否定し得ないものといわなければならない。
3 そうすると、被告相川は自己の過失により本件事故を生ぜしめたものであるから民法第七〇九条により、また被告会社は、本件事故当時本件ダンプカーを自己のために運行の用に供し、その運行によつて本件事故を起したものであることは当事者間に争いがなく、しかも前認定のように本件事故について被告相川に過失がある以上、その余の本件ダンプカーの構造上の欠陥、機能上の障害の有無を判断するまでもなく自動車損害賠償保障法第三条により、それぞれ本件事故により原告らのこうむつた損害を賠償する責任がある。
三、そこで進んで本件事故について嶺にも過失があるとの被告らの主張について判断する。証人若山勝太郎の証言および原告唐木富士子本人尋問の結果によると、嶺はかねてひばりヶ丘団地内に住み、同所から練馬区大泉東小学校に通勤していたが、通勤の際はほとんど本件オートバイで本件現場を通行しており第一丁字路と第二丁字路の存在を知つていたことが認められ、この事実と右認定の本件事故の状況とをあわせ考えると、嶺が第二丁字路にいたるに際し、前方を注視しておれば本件ダンプカーは相当遠くから認め得たはずであり、かつ、ダンプカーを認めた際にはその動向によく注意し、時宜によつては徐行して急停車による危険を未然に防ぐ措置を採つておけば、本件事故を避けることができたにもかかわらず、漫然と四〇キロ以上のスピードで進行し、前方注視を怠り、ためにダンプカーの発見がおくれて、その動向の認識をあやまり、ダンプカーの約六メートル前方であわてて急停車したけれども、ついに本件事故をみるにいたつたものであるから、本件事故については嶺にも過失があるものといわなければならない。しかして、右嶺の過失は被告らの損害賠償額を定めるについて考慮すべきものと考える。
四、原告唐木富士子が嶺の妻、同唐木徹、同唐木麻利が嶺の実子であり、かつ、原告ら以外には嶺の相続人が存しないことは、成立に争いのない甲第一号証により明らかである。
そこで、原告らのこうむつた損害額について検討する。
1 財産上の損害、成立に争いのない甲第一、第三、第五、第六号証および証人山本義一の証言と原告唐木富士子本人尋問の結果をあわせると、嶺は死亡当時満二九才(昭和六年一月二日生)の健康な男子で、昭和二六年三月一三日に東京師範学校男子部本科を卒業するとともに、同日小学校および中学校教諭二級普通免許状を取得し、同年四月一日から東京都豊島区立長崎小学校に、同三一年四月一日からは東京都練馬区立大泉東小学校に勤務し、小中教二等級一四号俸として、一ヶ月金二万四一四〇円の給与と一ヶ年金七万三二二〇円の手当以上一ヶ年合計金三六万二九〇〇円の収入を得ていたところ、厚生省統計調査部公表の第一〇回生命表によれば同人の余命は通常なお四〇、五九年を下らず、東京都職員の慣例により満六〇才にいたるまでの爾後三〇年間は教員として勤務可能であつたと認められるから、同人は本件事故がなかつたならば通常爾後三〇年間は一ヶ年金三六万二九〇〇円の割合で収入を得られるものというべきところ、同人の生活費は一ヶ月約金一万円、一ヶ月年合計金一二万円であることが認められるから、同人が本件事故によつて失つた得べかりし利益の現在価格は一ヶ年金二四万二九〇〇円の割合による三〇年間の純収入額からホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した金四三七万九三二〇円であることは計算上明らかである。
次に証人山本義一、同渡辺健夫の各証言と弁論の全趣旨をあわせると、嶺が前記認定のように満六〇才まで勤務し得るとすれば、同人の退職は東京都の慣例により希望退職となり、希望退職の場合には一般退職と異り所謂勧しよう退職に準じて、一般退職金額の五割増となり、かつ勤続年数が三〇年以上の場合にはさらに退職金全額の一割加算となること、一般に、教職員は、一ヶ年に一号俸の割合で昇級するのが慣例であることが認められる。そこで、嶺が死亡しなかつたならば通常受領し得たであろう退職金額を算出すれば、まず嶺は死亡当時小中教二等級一四号俸であつたことは前段認定のとおりであるから、改正前の東京都学校職員の給与に関する条例(昭和三一年九月二九日東京都条例六八号を同三四年一〇月二〇日東京都条例七二号により改正したもの)によれば、同人は退職時には小中教二等級三四号俸金四万五二八〇円を受領していたこととなり、次に同人が昭和二六年四月一日から教職員として勤務していることは前段認定のとおりであつて同人が満六〇才となるのは昭和六六年一月一日であることは明らかであるから同人の勤続年数は約三九年九ヶ月となるところ、前認定の事実と改正前の東京都職員の退職手当に関する条例(昭和三一年九月二九日東京都条例六五号)第五条、第六条第一〇条第七項によれば、同人の退職金額は右金四万五二八〇円の六四、五ヶ月分とその全体の一割加算ということになるから、結局金三二一万二六一六円となる。そこで、右退職金額の現在価格は前記ホフマン式計算法に基いて算出すれば、金一二八万五〇四六円となることは計算上明らかである。
したがつて、嶺は本件事故により合計金五六六万四三六六円の得べかりし利益を失つたこととなるが、成立に争いのない甲第四号証の一ないし三によれば、嶺は本件事故により東京都教育委員会から死亡給与金一六万二〇八〇円、退職手当金一七万六二六二円、死亡一時金八万一〇四〇以上合計金四一万九三八二円の交付を受けたことが認められるので、損益相殺によりこれを控除すれば金五二四万四九六四円となる。原告らの主張金額中右認定を超える部分についてはこれを認めるに足りる証拠はない。
ところで、嶺には本件交通事故について過失があることは前段認定のとおりであるから、右嶺の過失をしん酌すれば、結局嶺が本件事故によりこうむつた損害額は金一二〇万円と認めるのが相当である。そうとすれば、原告らは、各自の相続分に従つて右金一二〇万円の三分の一である各金四〇万ずつをそれぞれ相続したこととなる。
2 精神上の損害、前記甲第一号証と証人若山勝太郎、同土屋和雄の各証言および原告唐木富士子本人尋問の結果をあわせると原告唐木富士子は昭和三二年四月ごろから嶺と同居して生活を共にし昭和三三年五月二日婚姻届を提出後、同年一〇月一七日に原告唐木徹を、昭和三四年一一月一二日に同唐木麻利を出産し、嶺を中心として平和な家庭生活を営んでいたこと、嶺は、性格も明るく同僚教員との交際も良好で、原告らは将来に希望をいだいていたところ、本件事故により原告唐木富士子は、今後、徹および麻利を女手一人で養育しなければならない状況におちいつたこと、徹および麻利は現在幼少でまた精神的感情は未発達であるが将来、本件事故により実父を失つたことについて必ず精神的苦痛をこうむるであろうこと、が認められる。右の事実と本件事故の原因、態容、前記嶺の過失等諸般の事情をしん酌すれば、嶺の急死により原告らがこうむつた精神的苦痛は、原告唐木富士子は金二〇万円、同唐木徹、同唐木麻利はそれぞれ金一〇万円をもつて慰藉するのが相当と認められる。
3 しかして、原告らは本件事故により日産火災海上保険会社から自動車損害賠償保障法による責任保険金三〇万円を受領すべきこととなつていることはその自認するところであるので、これを原告らの右金額からそれぞれ金一〇万円づつ控除する。
以上認定したところによれば、原告唐木富士子の本訴請求は財産上の損害のうち金三〇万円、精神上の損害のうち金二〇万円の限度において、同唐木徹、同唐木麻利の本訴請求は財産上の損害のうち金三〇万円、精神上の損害のうち金一〇万円の限度においてそれぞれ理由がある。
五 しからば、被告らは各自、損害賠償として原告唐木富士子に対し合計金五〇万円、原告唐木徹および同唐木麻利に対してそれぞれ合計金四〇万円および本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三五年六月一〇日から右各金員支払ずみまで年五分の遅延損害金を支払う義務がある。よつて、原告らの本訴請求を右の限度において正当として認容し、これを超える部分は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浅沼武 鈴木醇一 荒木恒平)